90年代の中頃は、ユーザはスクロールという操作に不慣れだったが、今ではユーザがブラウザのスクロールバーを使用することは自然な行為です。

記事やチュートリアルのように連続した長い内容について、ページを分割してテキストを区切るより良いユーザビリティを提供します。

ホームページのトップに、あるいは、スクロールの表示範囲に内容の全てを集約する必要はありません。
ユーザが興味を持った内容について、一定のデザインルールでスクロールで閲覧を継続する事を担保してください。

また、スクロールの表示範囲の内容が一番注目されて、そのページが読むに値する価値があるかどうかの判断が行われる重要な内容であると認識してください。
信頼されている"3クリックルール"だが、ユーザは目的の情報に3クリックで発見できなくともサイトを去ったりはしません。

実際、必要なクリックの数は、ユーザー満足感または成功率に影響を及ぼしません。
より少ないクリックがよりユーザを幸せにする、という事実は認められません。

本当に検討すべきはナビゲーションの容易さです。
(ユーザの経路を終始認識できる方法など)

ユーザにクリックについて余計な思考させたりしないならば、2・3クリックが増えるのは気にされません。
いいえ。

「Webコンテンツでユーザは一文一句丁寧に文字を読まない」事をずいぶん昔にユーザビリティ研究で実証されています。

そのかわり、ユーザはハイライト、見出し、リスト、短い段落から意味のあるものを探し、ざっと目を通します。

なぜなら、新聞などを読むときと同様に有用な部分を探すことを急いでいるからです。
ユーザは興味のない情報をスキップするために ざっと目を通します。
FoxConn
iPadを生産を請け負う中国の工場では、今年に入ってから10人以上の自殺者や過労が原因ではないかとされる死亡が続いている。
中国本土ではこの事態は報道されず、好調な経済成長に黙殺されている状態であるのではないか、という見方もある。

この工場は、AppleのみならずインテルやDell、HPなどの製品も請け負っているという。

真相について、検証しようがない。

しかし、モノの価値について、色々考えさせられるものがある。

500円の使い捨て傘
1円で買える携帯電話(最近そうでもないが)
最近やたら目にする白身魚のフライ
コーヒー

安く、インスタントにモノが手に入る、ということは恵まれた事だけど、正当な対価を払っていない違和感を感じていた。
「モノに対してフェアーな対価を払う」という当たり前の事が、モノがあふれる現代においては行われていないのではないか。

それは、モノに対する尊厳を失うことになっているように思うし、なにかしらの矛盾と歪を生んでいるように思う。

私が、手軽にモノを手にし、モノに囲まれながら生活をする。
それは、モノへの冒涜であるかもしれないし、作り手からの搾取かもしれない。

デザインという行為は、問題を解決する計画である。
もし、iPadが安い人件費という名の搾取で成立するデザインならば、それは思いやりに欠けるデザインではないだろうか。